南西急行電鉄研究会

水澄線複線化

1.プロジェクトの概要

 水澄線の全線複線化は、南西急行電鉄の発足時点ですでに戸張駅まで複線化されていたこともあって、同社の経営課題としてはあまり重視されていなかった。もともと、水澄地区では水澄鉄道水澄登山電鉄→水澄湖遊覧船→駒ケ岳ロープウェイ→駒ケ岳ケーブル→織田急電鉄(またはその逆)という周遊ルートが定着しており、各交通機関では観光客を双方向に効率的に輸送できた。さらに、東京~水澄間の観光輸送に関しては水澄鉄道に対して織田急が優位に立っていたので、水澄線の輸送力が逼迫することは無いと考えられていたのである。

 ところが、実際に湾岸新線の開通によって水澄線の利便性が向上すると、同線の輸送量は大幅に伸びて、その想定は急に怪しいものになってきた。また、全線複線化後の青海線と単線区間を含む水澄線のダイヤが非対称であることは諸事都合が悪く、輸送部門からは水澄線全線複線化の必要性が訴えられた。特に、ダイヤ乱れのリスクが大きいままの水澄線に、東京線青海線が巻き込まれるという事態が懸念されていた。

水澄線複線化/mizusumi-fukusennka-before.gif
水澄線複線化前の配線
水澄線複線化/mizusumi-fukusennka-after.gif
水澄線複線化後の配線

 複線化工事は、そのような経緯と、南西急行の大株主であるX県の「早期完成」の意向もあって、青海線全線複線化完成と同年の昭和62(1987)年度に着手された。水澄線の場合は、青海線に比べて工事距離が短かかったことから複線化そのものは平成2年7月のダイヤ改正に間に合わせることができたが、麦田駅戸張駅聖渓谷駅の3駅は退避線を増設するために駅構造を大きく変える必要が生じ、全設備の完成は平成4年9月までずれ込んだ。

 この3駅の改造はいずれも上り線の輸送力増強を目的としたもので、水澄線が観光路線から通勤路線に性格を変貌させていく経過が見て取れる。この工事の完成は平成4年10月の白紙ダイヤ改正の直前であり、南西急行の工事部門はこの時期は真夏だというのに冷や汗ものの工程管理を強いられたのだった。

2.工事ステップ

(0)複線化前の配線

水澄線複線化/mizusumisen-step0.gif

(1)平成元年2月

水澄線複線化/mizusumisen-step1.gif

 戸張駅中河駅杉岡駅、八色ノ滝駅(現水澄東口駅)~珠ヶ谷駅水澄駅間複線化。麦田駅は上り退避線新設の支障移転として上り線ホームを興隆寺駅方へ移設。

(2)平成2年6月

水澄線複線化/mizusumisen-step6.gif

 杉岡駅聖渓谷駅~八色ノ滝(現水澄東口駅)間複線化。麦田駅上り退避線を新設(使用開始はせず)。

(3)平成4年9月

水澄線複線化/mizusumisen-step9.gif

 麦田駅上り線新ホーム、戸張駅4番線、聖渓谷駅3番線を使用開始。

3.矢積駅高架化と柳原駅改良

 水澄線矢積駅は矢積検車区を併設した水澄線の輸送上の重要拠点であったが、同検車区は駅周辺の発展を阻害するものとして地元自治体からは邪魔者扱いされる状況が続いていた(車両基地があったればこその経済効果があることは、その論理からは見事に抜け落ちている)

 昭和55年、X県と矢積市は国鉄南街道本線と共に南西急行矢積駅周辺を立体交差化することを決め、国鉄および南西急行と設計協議を開始したが、それには矢積検車区を郊外に移転することが事柄として含まれていた。ただ、ここで言う「移転」とは、自治体にしてみれば車両基地の機能を他の基地に移転する「機能移転」であり(廃止する基地機能の代替は南西急行側で確保するということ)、南西急行にしてみれば基地のハードウェアを含めた「移転」を指していて(すなわち、基地廃止の代替設備の新設工事費は当然負担金が拠出されるべき、ということ)、その差異を埋めるための協議に例によって多大な時間とエネルギーが費やされている。

 結果として、矢積検車区は隣駅の柳原に移転し、柳原駅は周辺の住宅開発計画に連動して御幸台駅(新開発されるニュータウンの名称)と改称されることとなった。また、矢積駅は旧車両基地のスペースを仮駅や工事ヤードとして2面4線の高架駅に改築され、高架化後の余剰スペースが、地元自治体の駅周辺の再開発事業に供されることとされた。

 設計協定を経て、施工協定が締結されたのが昭和58年。矢積駅御幸台駅の改良の完成は(撤去工事を除けば)平成3年12月、水澄線全線複線化の完成(平成2年7月)時点では下の図版のSTEP4の段階にあり、結局複線化には間に合わなかった。このことが平成2年7月ダイヤ改正で発生した輸送混乱につながった。矢積御幸台は、両駅が共に完成形になることで初めて輸送力増強に対応可能な列車取扱能力を得ることができるように設計されていたが、矢積駅の完成前にダイヤ改正を強行したため、両駅が担うべき機能が御幸台駅に集中し構内の作業が輻輳したのが原因であった。

 なお、矢積駅の構造の変遷については別項を参照されたい。

(0)高架化前の矢積駅と柳原駅

水澄線複線化/yatsumi-step0.gif

(1)昭和60(1985)年4月

水澄線複線化/yatsumi-step1.gif

 柳原駅を仮線に移行し、上り高架ホームと御幸台検車区の建設を開始。

(2)昭和62(1987)年4月

水澄線複線化/yatsumi-step2.gif

 柳原駅の上りホームを高架化。このとき、駅名を改称。中途半端なタイミングとなったのは、「御幸台ニュータウン」の街開きに合わせたためである。

(3)昭和63年7月

水澄線複線化/yatsumi-step3.gif

 御幸台検車区稼動開始、矢積検車区廃止。御幸台駅2番線高架ホーム使用開始

(4)平成元年6月

水澄線複線化/yatsumi-step4.gif

 御幸台駅1番線完成、矢積駅旧ホームを使用停止、仮設ホームを使用開始。矢積駅における緩急結合および折り返しを御幸台駅に移行するダイヤ修正を実施。

 この設備状態のままで平成2年7月ダイヤ改正を強行したため、御幸台駅の構内ダイヤが大混乱するという失敗を犯すことになった。

(5)平成3年12月

水澄線複線化/yatsumi-step5.gif

 下り線・上り線が同時に高架に切り換えられた。

(6)完成形

水澄線複線化/yatsumi-step6.gif



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