水澄登山電鉄
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1.路線概要
水澄登山電鉄は水澄の観光開発を目的に旧水澄鉄道が開設した鉄道路線で、全線単線、軌間は1435mm。途中駅は7駅で、うち5駅で交換可能。最急勾配は80‰で粘着式鉄道のトップに位置し、水澄盆地(標高約300m)から水澄湖畔(標高約800m)まで、標高差約500mを15km弱で駆け上がる。ルート選定の妙によりスイッチバックやループ線は回避されているが、それでも急曲線が連続する厳しい線形と言わざるを得ない。
閉塞方式は電子閉塞式であり、急勾配区間における安全対策もあって1駅間には1個列車しか在線できない。CTC化・PRC化が完了しており、センターは水澄駅構内にある。架線電源は開業以来直流1500Vで、南西急行の水澄変電所から供給を受けるほか、2箇所(桑ノ谷・湖畔)の自社変電所からき電する。架線はき電ちょう架式シンプルカテナリー方式だが、南嶺トンネル(笹ノ湯~松森間)内のみ剛体架線に改修されている。
駅務面では、駅員が常駐するのは水澄・笹ノ湯・水澄神宮の3駅で、他の駅は水澄駅から遠隔で管理する。システムのハードウェア構成は八浦鉄道のものと同じで、もちろん、Suicaにも対応している。
なお、水澄登山電鉄ではワンマン運転は行っておらず、全列車に車掌が乗務する。

笹ノ湯は水澄内の著名温泉地の一つで、水澄から登った観光客のおよそ半分はまず同駅で下車する。笹ノ湯~松森間の南嶺トンネルを抜けて水澄湖の湖畔に出、そこから北上して水澄神宮駅に至る。
水澄神宮は水澄観光の拠点であり、駅・バスターミナル・ロープウェイのりば・観光港が一箇所に集まっている。観光客の主な流れは、水澄→笹ノ湯→水澄神宮→水澄湖観光船or水澄ロープウェイorバス→西湖畔→水澄ケーブル→水澄北口(またはこの逆ルート)で、南西急行系と織田急電鉄系の交通機関が連携して観光ルートを構築している。
2.ダイヤの概要
WebDIA時刻表
時刻表 | 平日 | 水澄線 | 水澄登山電鉄 |
休日 | 水澄線 |
水澄登山電鉄は山麓側の水澄ではなく、標高の高い水澄神宮を起点としている。これは、水澄から山を登っていく列車を「上り」、水澄神宮から山を下っていく列車を「下り」と呼称させるためである。平日・休日の別が無く、日中は15分ヘッド、早朝・夜間は30分ヘッドでの運転となる。全列車が各駅停車。基本的に、水澄側では南西急行水澄線との接続が考慮されている。
年間を通して輸送力は不足気味であり、観光シーズンには大変な混雑となるので、水澄湖畔へのマイカーの流入規制が行われ、水澄駅~水澄神宮間、水澄東口駅~水澄神宮間には登山電鉄代行のシャトルバスが運転される。
3.水澄登山電鉄の車両
水澄登山電鉄の車両は、平成5年度~8年度の4年間で200形9編成に統一された。200形は3両の車体を連接台車で連結した車両で、従来の100形のボギー車2両編成に対して輸送力は40%増強された。
200形は4台車全てが電動台車で、1C1MのVVVFインバータ制御方式を採用して粘着性能の向上を図っている。発電ブレーキ・ばね式非常ブレーキのほか、ブレーキシューとレール表面との間に直接摩擦力を発生させて制動力を得るレール摩擦ブレーキを装備する。2台のパンタグラフの間は母線が引き通され、力行中の離線によるトロリ線摩耗を防止している。


4.水澄登山電鉄の沿革
水澄登山電鉄は、水澄鉄道の子会社として、水澄の観光開発を目的に設立された。開業は昭和3年6月で、水澄鉄道矢積~水澄間の開業が大正14年3月だからそのわずか3年後にあたり、登山電鉄と水澄鉄道はワンセットで建設されたことがわかる。一時は合併も考えられていた。ただし、鉄道としての形態は特殊なものとならざるを得ず、軌間は大出力電動機の台車装荷に有利な1435mmが採用され、急曲線に対応するため車体も当初から小型で、特に下坂のための何重ものブレーキ装置がコストを押し上げた。このため、水澄登山電鉄は水澄鉄道とは別の経営形態を採ることになった。
一方、観光地水澄への進出で後手に廻った織田急電鉄は昭和4年に水澄北口まで全通(水澄鉄道の方が開業が早かったため、水澄鉄道側が駅名を「水澄」にできた)、昭和6年には水澄北口~西湖畔間の水澄索道(現水澄ケーブル)を開業させて水澄へのアクセスを競った。水澄鉄道と織田急電鉄の競争は、やはり東京から特急電車で直通できる織田急の方が有利で、水澄鉄道は劣勢を挽回するため、戦後に神明峠新線を建設して大都市からの直通ルートを構築したのである。
両者の競合は、実のところ観光客の利便性とは無関係に展開され、その過熱ぶりはしばしば話題に上った。例えば、水澄鉄道系の水澄登山バスと織田急電鉄系の富士北バスは互いに自社のターミナルに他社の便を乗り入れさせなかったし、宿泊施設を囲い込んで、いわゆる立ち寄り湯的利用もさせない、といったことが行われた。このことに危機感を抱いたX県は調停に乗り出し、ヨンサントオ協定締結後、水澄鉄道バスと富士北バスを合併させて富士水澄バスを発足させ、南西急行と織田急電鉄の競合関係が都会から水澄へのアクセス場面だけに限定されるようにしたのだった。
また、県は人気に陰りが見えてきた水澄の魅力を増すため、規制の厳しい環境条例を造り、自然景観の保護と水澄湖の水質改善に努めた。観光シーズンのマイカー規制もその一環である。これらの政策の効果もあって、水澄の人気はバブル期前に回復し、現在でもなお衰えていない。テーマパークやリゾートマンションといったバブリーな開発に走らなかったことが、地元の観光産業に余力を残し、環境整備等の投資につながっているのである。
話を水澄登山電鉄に戻すと、南西急行発足の際、同電鉄は南西急行には組み込まれず、100%子会社とされた。その理由は八浦鉄道のケースとは正反対で、水澄登山電鉄側が、同社の利益が会計上 南西急行本体に吸収されてしまうのを嫌ったのである。同社の経営形態を見ても、水澄登山電鉄は親会社に対して独自色を維持しようという意識が強いようだ。
昭和55年の南西急行全通後、水澄への送客数における南西急行と織田急電鉄のシェアは50:50となり、平成2年7月に水澄線複線化が完成するとついに55:45と逆転した。その影響により水澄登山電鉄の輸送力不足が深刻になり、前述したように平成5年度以降に新型3連接車200形への車両更新が行われて輸送力増強が図られている。
その後は目立った動きは見られないが、昨今、水澄地域内のバス・自動車からの排ガスを抑制するために、水澄神宮~西湖畔間を併用軌道方式で延伸する案が持ち上がっており、各方面で検討が進められている。