南西急行電鉄研究会

東京線輸送力増強

1.湾岸新線全通後の状況

 昭和55年の湾岸新線全通に伴い、美咲~新宿間は「東京線」と名称を変更して南西急行の基幹路線となった。ところが、その設備の貧弱さがすぐに露呈した。昭和56年度が始まると、それまで国鉄南街道本線を使って通勤していた乗客が通勤定期を南西急行経由に切り換えたため、朝ラッシュ時には東京線は大変な混雑になった。

 当時、東京線の美咲口では朝ラッシュに1時間あたり12本しか列車を設定していなかった。これは、湾岸新線全通前の京神線の優等列車の運転本数と同数であり、湾岸新線による需要増は既存の輸送力で吸収できると踏んでいたわけで、これはさすがに予測が少な過ぎた。南西急行の悪しき体質が最高度に顕在化した例である。

 昭和58年3月ダイヤ改正では、朝ラッシュ時の運転本数を1時間に16本(急行8+快速8)に、日中の運転本数を1時間に10本(特急2+急行4+快速4)に増強。さらに昭和60年3月ダイヤ改正で日中の緩行線に準急を増発し、さらに朝ラッシュ時の準急を三泉通過の通勤準急に変更した。これは、新神津有川間の乗客が乾・紅林で急行線の列車に乗り込むのを少しでも緩行線に戻すためで、早い話が時間稼ぎでしかない。

 また、南西急行は昭和58年度から青海線複線化、昭和62(1987)年度から水澄線複線化を進めており、これらの完成後に東京線の輸送量が増大することは必至であった。東京線(急行線)の輸送力増強工事の検討はこのような状況の中で進められた。

東京線輸送力増強/haisen-tokyosen-H01.gif
図1 湾岸新線全通後の東京線の線路配線

2.輸送力増強のプラン

 当時、南西急行が構想していたのは、図2のダイヤ(16本/時)に対し、急行に続行する形で増発便を設定して図3のようなダイヤ(24本/時)にすることであった。このダイヤの意図は、青海線水澄線から流れ込んでくる神津・東京方面への通勤客をターゲットとした列車を増発し、既存の急行快速の混雑を緩和するところにあった。つまり、旧湾岸新線区間の途中から増発便を割り込ませて列車本数を増やすのではなく、美咲駅そのものの列車取扱能力の増強が必要とされた。

ダイヤの変遷Ⅱ/pattern-tokyo1.gif
図2 平成元年時点の東京線朝ラッシュ時ダイヤ
東京線輸送力増強/東京線輸送力増強ダイヤ案.gif
図3 輸送力増強後の東京線朝ラッシュ時想定ダイヤ

 また、輸送力増強の手段として、急行線の3扉クロスシート車を4扉ロングシート車に置き換えて立席収容力を増したり、2階建車両を投入して提供座席数を増やすことも検討されたが、結果としては「列車本数の増」のみが選択された。4扉車を投入して居住性を犠牲にすればJR南街道本線に対する競争力を減殺してしまうことになり、さりとて高価な2階建車両を一挙に大量投入できるほどの余力も無い。

 当時の南西急行は、湾岸新線の建設費償還や、青海線複線化水澄線複線化渋谷駅改良等の工事費支払いが重なって投資負担が社の財務力を超えつつあり、東京線の輸送力増強も地上設備への投資だけで済ませたいところであった。後述する工事内容は、いずれも新規の用地買収が不要となるよう計画されていたが、そうでなければ南西急行はプロジェクトを断念し、輸送力がパンクするに任せる他は無かったであろう。

 このころの南西急行社内は、過度なコストダウン要求で東京線に貧弱な設備を強いて後の追加投資を余儀なくさせたスポンサー(すなわちX県)に対する憤怒に歯軋りしていた。さすがに議事録には残っていないが、本件を決定する取締役会において、プロパーの経営幹部がX県からの天下り役員を激越な口調で非難したという話もある。

3.駅改良工事

(1)美咲駅

 当駅は湾岸新線開通当時は3面6線の構造で、東京線方面ホームは1面2線のみであった。そのうち1線は当駅始発列車が占有しているため、青海線水澄線からの列車を受け入れられるのは1線しかなく、片方の路線のダイヤが乱れるとすぐにもう片方の路線まで巻き添えになってしまうという問題があった。

 そこで、東京線用のホームをもう1面(現在の7・8番線)増設した。また、線路配線も5~8番線には極力両方面から同時に進入できるように改良されている。なお、駅の構造については別項「美咲総合駅」を参照。

(2)関浜車両基地

 新成原駅方に入出区線を新設した。こちらは用地の確保と本線高架橋のアンダーパス施工の準備がなされていたが、土木分野に限った話であり、軌道・電力・信号分野についてはあまり考慮されていなかった。そのため、比較的若い設備でありながら、既存電柱の建て替えや信号機の移設等の追加施工が発生している。

(3)藤田駅

 藤田電留線の項を参照。

(4)旗塚駅

 当駅は、東京側の列車取扱能力向上策として上り線ホームを増設し交互発着を可能にした(駅の構造については別項を参照。当初の計画では「当駅の通勤輸送上の地位は決して高くない」として増発便を通過させて対応する予定であったが、地下鉄谷町線への乗換需要が伸長するに伴い、全列車停車に方針を変更したのである。南西急行が急行線車両の3扉クロスシート仕様を売り物にしている以上、都心側の拠点駅における停車時間確保は輸送力増強のうえで不可避の課題であった。

 工事に際しては、上り線山側にあった保守用車基地を潰してスペースを確保したが、これは南西急行の設備メンテナンス上、大きな不利になった。ここの基地が無くなると、新宿口の保守作業には三泉車両基地構内の保守基地しか使えなくなり、作業効率が落ちるためである。そのため、後の新宿駅改良工事においては新宿~渋谷間の明治通りトンネルの設備更新を同時施工して、その後の保守作業の機会そのものを削減した。

(5)渋谷駅

 当駅はもともと上りの着発線が2線あって交互発着ができる設備を有していた。しかし、当駅の改良工事を施工している間は上り線が1線のみになる場面があり、それが解消されるまで輸送力増強のダイヤ改正は不可能であった。

 南西急行が輸送力増強工事の検討を開始したのは昭和60(1985)年前後、ダイヤ改正に漕ぎ着けたのは平成4年であり、実施までに8年もかかっている。その原因の一つとして、当駅の改良工事のSTEP5完成を待ったことが挙げられる。詳細は別項を参照

4.設備改良工事

(1)信号設備

 高密度運転を可能にするには、閉塞割の細分化と、保安装置の機能向上が必要になる。ところが、本プロジェクトの場合、信号設備の能力的には20本/時を30本/時に、ダイヤ的には16本/時を24本/時と輸送力にして50%もの大幅増強となり、「この際、信号設備をATCに更新してしまえ」という案が出た。実際問題として地上信号機を林立させるのは見通しの確保に苦労が伴い、運転操作性の面でも問題があって、この案には信号部門・運転部門の双方から賛同があった。

 しかし、前述のように投資資金にはやはり限りがあり、高価なATCを長区間に亘って一挙に導入することもできず、コスト面と「できたところから使用開始できる」というメリットを選択して、従来のTSP-ATSでのヘッドカットを行うことになった。

(2)電力設備

電車線路設備

 本プロジェクトでは、図3のように増発となる列車が通過運転主体の速達列車であることから負荷電流の激増という事態が回避され、部分的にき電線を増設する等、工事規模を最小限に抑えることができた。上下一括き電方式を採用し、電圧降下が予め救済できていたことも功を奏した。

変電設備

 列車増発による負荷増で主変圧器・整流器の容量不足が懸念されたが、かつての旧京神電鉄湾岸急行電鉄の技術スタッフは想定負荷を水増しして設計していたため、本プロジェクトでの増強工事は不要ということになった。この事実は、当然ながら当時の状況からすれば過大投資であり、過去の経緯を追及されかねない。そこで電力部門は総出で「現在の車両は設計当時の車両より電力を食わないから大丈夫!」と強弁してこの問題をうやむやにしてしまったのである。

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図4 平成4年10月時点の東京線の線路配線

5.白紙ダイヤ改正

 平成4年10月1日、南西急行は白紙ダイヤ改正を実施。朝ラッシュのピーク時間帯にも特急を15分間隔で設定し、さらに新サービスとして長距離通勤客にターゲットを絞った通勤特急(特急料金は不要)を同じく15分間隔で6本設定した。また、急行快速の停車駅を分散させて通勤急行通勤快速としている。ダイヤパターンは図5のようになり、結果として図3のパターンとは異なるものとなった。詳細は別項を参照

 本ダイヤ改正の効果は大きく、長距離通勤客が座席を占有して大不評を買っていた急行の混雑が大幅に緩和された。逆に言えば、ここまでやらなければならないほど急行への乗客集中は問題視されていたのである。この後も、南西急行はあの手この手でこの問題に取り組むことになる。

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図5 平成4年10月改正後の東京線朝ラッシュ時ダイヤ

6.その後の東京線

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図6 現在の東京線の線路配線

 図6の配線は図4の状況から20年以上経過しているわけだが、その間に新宿駅改良、JRの美咲空港駅乗り入れと解消紅林車両基地改良神津駅(緩行線駅)改良、旗塚駅改良新長坂駅・緩行線神津駅2面3線化、目黒台線開業、といったプロジェクトが展開されている。また、平成22年10月に新宿から砂町まで、平成25年5月には青海線新八浦駅水澄線御幸台駅までの区間の保安装置をATC-Dに切り換えて運転操作性を向上させている。昭和60年代に一度ATC化を検討したことを考えれば、四半世紀越しでようやく実現できたことになる。



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