南西急行電鉄研究会

東京急行電気鉄道

1.路線概要

東京急行電気鉄道/東急電気鉄道路線概略.gif
東京急行電気鉄道の路線概略

 東京急行電気鉄道(以下、東急という)は、東京都南西部およびX県北部に路線網を有する大手私鉄であり、南西急行電鉄の東京口はほぼ完全に東急の包囲下にある。他方で、南西急行とは渋谷香堂武蔵神宮の3駅で接し相互に送客し合う関係ともなっており、単純な対立関係にあるわけでもない。特に、歴史的経緯から南西急行の渋谷駅の大家は東急であり、近年の東急荻塚線の全通においては紅林検車区を同線用の車両基地として提供するなど、様相は複雑さを増している。本項では、南西急行との関係を中心に東急の概況を解説する。

2.ダイヤの概要

東京急行電気鉄道/東京急行電気鉄道の運転系統.gif
東京急行電気鉄道の運転系統

 2018(平成30)年初時点での運転系統を図に示す。平日日中のダイヤは

  • 田園都市線:(東京メトロ線内~長津田)急行10両編成6本/時、(同)各停10両編成6本/時
  • 大井町線:(溝の口~大井町)急行7両編成6本/時、(同)各停5両編成6本/時
  • 蒲田線:(東京メトロ・都営線内~蒲田)各停6両編成6本/時
  • 池上線:(五反田~蒲田)各停3両編成6本/時
  • 荻塚線:(東京メトロ・都営線内~荻塚)急行6両編成6本/時

 となっている。以前の東急は各駅停車を主体に沿線からきめ細かく乗客を拾っていく方針であったが、平成25年の荻塚線開業のダイヤ改正で速達志向を強めたダイヤに改めた。その荻塚線は、沿線人口がまだ張り付いておらず、新規開業区間の駅間距離が長いことから、同区間を各駅に停車し都内区間で通過運転を行う「急行」を主体としている。

3.車両

 東急の車両は、長い年月をかけて18m級3扉車から20m4扉ロングシート車へ移行してきた。かつて自社グループに東急車輛があったことから、同社が得意としてきたステンレス車体の車両を積極的に採用しており、その方針は東急車輛がJR東日本傘下となった今でも変わっていない。

 先頭形状は、高速運転を行わないため、製造コスト低減を重視し切妻型を長年固守してきたが、近年の車両はそれに拘らなくなってきている。

 2018年度初には大井町線急行用編成の1両にロング/クロス両用仕様の車両を導入することがプレスされており、民鉄他社と同様に有料着席サービスによる客単価向上に走ろうとしていることが判る。

4.東京急行電気鉄道の沿革

(1)戦前期

 いわゆる東急グループの経営史については様々な資料があるので、ここでは当研究会のメインテーマである南西急行との関係性に主眼を置いて解説する。

 1923(大正12)年3月に目黒線(現在の蒲田線)目黒~丸子(現沼部)間を開業したのを皮切りに、同年11月の同線蒲田延伸、1929(昭和4)年の大井町線全通、1933(昭和8)年の池上電気鉄道吸収、1936(昭和11)年の玉川電気鉄道(のちの新玉川線、現在の田園都市線渋谷~二子玉川間にあった路面電車)乗っ取り…という流れで東京の南西部に路線を広げていったことは周知のとおりである。

 一方、南西急行の前身のひとつである京神電鉄は、1923(大正12)年3月、つまり前述の目黒線とほぼ同時に渋谷紅林間を開業させている。これは、東急の前身たる田園都市株式会社(以後、会社の商号変更を追うのは煩雑であるので、いわゆる五島系の企業群を総称して東急と呼ぶことにする)の動きに対抗したものだが、東急側は東京南西部の住宅開発を狙っていたのに対し、京神側は現在のX県北部地域までを視野に入れており、さらに、南街道本線のバイパスルートとすることまで考えていた。つまり、鉄道建設の目的が端的に異なっていた。それゆえ、京神側は路線を高規格にしたことで建設ペースが遅くなり、1932(昭和7)年にようやく神津まで全通させているが、大風呂敷を広げ過ぎた経営方針が行き詰まり、1935(昭和10)年に東急の傘下となってしまう。

 また、東急は地下鉄事業にも進出し1938(昭和13)年に現東京メトロ銀座線渋谷~虎ノ門間を開通させている。京神電鉄・玉川電気鉄道の吸収は、これに備えて渋谷駅を押さえることに目的があったわけで、この経緯によって現在も南西急行の渋谷駅は東急の強い影響下にある。

 その後、陸上交通事業調整法による戦時統制の状況もあって、現在の織田急、南武鉄道、京王電鉄を吸収していわゆる大東急を形成するに至る。

(2)大東急の解体と南西急行

 敗戦を受けて、大東急はGHQの意図により解体されて織田急・南武・京王(いずれも現名称)は再分離されたが、その動きの中で微妙なのが旧京神電鉄部分であった。前述のように、京神電鉄は結果としては経営不振のところを東急に救われたのであり、織田急・南武・京王のように戦時という状況により吸収されたのではないからである。しかし、東急の京神部門の社員にはいわゆる「強盗慶太」的手法に反感を持っていた者が多く、鉄道経営の方針も異なっていたので、彼らはGHQに「京神も東急に強引に吸収させられた会社である」と誤認させるという少々褒められない手法で東急からの分離を果たした。

 ただし、その後も経営方針や鉄道技術の面で、東急の影響力は現在の南西急行に至るまで色濃く残っている。例えば、紅林複々線化に際して増加した乗客の受け皿となる地下鉄谷町線の建設を各方面に要請した手法は、東急が田園都市線の通勤客の受け皿として地下鉄半蔵門線建設を促した手法と連動したものである。また、南西急行がこれまで経験してきた難工事の多くが東急建設の技術力に拠っている。さらに、東急車輛が開発した軽量ステンレス車体を早期に採用している(3000系)、といったところが挙げられるであろう。

(3)田園都市線の建設

 戦後、東急は多摩田園都市構想をブチ上げ、その基幹路線たる田園都市線の建設に着手。1963(昭和38)年10月に大井町線を田園都市線と改称し(このころは溝の口が終点であった)、1966(昭和41)年4月に延伸という形で溝の口~長津田間を一挙に開業させた。1977(昭和52)年4月には新玉川線(渋谷~二子玉川園間)を開業、1979(昭和54)年8月に田園都市線・新玉川線・半蔵門線との全面直通運転を開始し、大井町線が再び分離された。2000(平成12)年8月には新玉川線が田園都市線に編入されている。

 田園都市線沿線は、東急グループの絶妙なコントロールによって住民の新陳代謝が継続された結果、沿線人口は近年の少子高齢化・生産年齢人口減のトレンドのなかにあっても増え続けており、同線は長年にわたって「住民の生活レベルと全く乖離した超混雑路線」と酷評され続けている。

(4)近年の設備投資

 そのような事情から、特に平成に入ってからの東急の設備投資は田園都市線のバイパスルート形成が主目的となっており、列挙すれば以下のようになる。

  • 目蒲線の高規格化、東京メトロとの直通運転(2000(平成12)年、同時に目蒲線を蒲田線に改称)
  • 大井町線大岡山・尾山台間複々線化、同線の急行運転開始(2008(平成20)年)
  • 田園都市線二子玉川・溝の口間複々線化、大井町線との直通運転(2009(平成21)年)
  • 荻塚線尾山台・荻塚間全通、大井町線・蒲田線を経由して東京メトロと直通運転(2013(平成25)年)

 下に、1989(平成元)年ごろと2018(平成30)年時点での東急の線路配線図を示すが、この間のハードウェアの増強ぶりがよく判る。しかし、それでも田園都市線の混雑は大幅な改善が見られておらず、溝の口~たまプラーザ間複々線化が検討されている。しかし、東急の本音としては荻塚線ルートへの乗客の移行こそが望ましい姿であろう。

東京急行電気鉄道/平成元年ごろの東京急行電気鉄道配線図.gif
平成元年ごろの東京急行電気鉄道の線路配線
東京急行電気鉄道/平成30年時点の東京急行電気鉄道配線図.gif
平成30年時点の東京急行電気鉄道の線路配線

5.東急荻塚線について

(1)建設決定の経緯

 X県川浜市西部から神津市北部にかけての多摩丘陵南端地域は、住宅地として好適であったが少々地形的に厳しく、京神電鉄がルート選定の際に神津を真っ直ぐ目指したこともあって、長い間鉄道の空白地帯となっていた。また、別項で述べているように、神津駅付近に鉄道路線が過集中している状況も問題視されており、X県は武蔵神宮から荻塚に至る鉄道路線をヨンサントオ協定の協議中の1965(昭和40)年ごろから構想していた。この路線を仮に荻塚線と呼ぼう。

 このような路線は、国鉄も神津駅の貨客分離を目的に検討していたが、勾配区間に貨物列車を通す不合理から見送られ、X県の関係者間では京神電鉄神宮線を荻塚へ延伸する形での路線整備が既定の方針となっていた。しかし、当の京神電鉄は紅林複々線化湾岸新線建設といったプロジェクトで手一杯であり、さらに別の新線建設を検討するなど「論外の外の靴の裏」(当時の京神電鉄の経営幹部の言)という状況であった。それは1980(昭和55)年の南西急行全通後も同じであり、後に南西急行東京線の輸送力不足が露呈すると、神宮線延伸という形での荻塚線建設は無理というのが一般的な認識になっていた。その後は荻塚線の案件はさして注目されることもなく「知っている人は知っている」程度の構想に留まることになる。

 ところが、1995(平成7)年1月の阪神大震災で神戸に集中していた鉄道各線が寸断され、我が国の交通が大混乱に陥ったことから、関東における神津にも同様のリスクがあることが指摘されるようになり、神津を迂回する鉄道路線が必要との意見が再び沸き上がったのであった。こうして、X県のプロジェクトとして、荻塚線を建設する方針が決まったのである。

(2)南西急行と東急の対応

 荻塚線のプロジェクトにおける最大の課題は、営業主体をどうするか、であった。X県は、当然ながら県の交通政策の実行機関として南西急行を考えていたが、当の南西急行は「神宮線を延伸しても紅林以遠の乗客が新線に移行するだけであり、新規需要を掴んだとしても、その乗客を東京へ運ぶだけの輸送力の余裕が無い。さりとて新たな輸送力増強の投資をしてもそれを回収できる見込みも無い」と応じて難色を示したのである。

 一方、この話に興味を示したのが、慢性的な混雑の続く田園都市線のバイパス線を求めていた東急であった。多摩丘陵の山向こうに新線を通してどれほどの乗客が移行するのか?という声もあったが、神津市北西部にはバスで田園都市線の駅に出て東京方面へ通勤する流れ(定期運賃の高い南西急行を避けて、運賃が安い東急を志向する層)が一定量あり、また、新たな営業エリアを開拓することも狙っていたのである。また、当時、東急は目蒲線の高規格化や大井町線の急行運転等の設備投資に着手しており、これらのハードウェアを使えば新線の乗客を(田園都市線ではなく)そちらへ流し込めるという目算も立てていた。

 困ったのは南西急行で、東急のこういった動きを許せば、自社路線から少なからぬ乗客を奪取されることになる。何せ南西急行の鉄道事業の営業利益は旧京神電鉄区間で四割を稼いでいるので、このダメージは大きい。しかし、自社で建設しても前述の課題はクリアできないのである。

 結局、南西急行は自社での新線建設を断念し、来るべき東急の攻勢に対抗する策を考え始めた。これが2000(平成12)年ごろの動きであり、それ以降、京神区間における各駅の改良工事を進めたほか、2009(平成21)年度には1400系の淘汰を前倒しして緩行線の全車(直通運転を行っている東京メトロ谷町線新東武鉄道の車両を含めて)グリーン車を連結。さらに緩行線・谷町線・新東武線の直通運転系統にNEWS-Lineという愛称を設定してブランディングを強化する等の手を打っている。

(3)建設スキームについて

 荻塚線の建設スキームは、計画線となっていた武蔵神宮~荻塚間をX県が建設して東急に経営を委託し、都心側から武蔵神宮までの区間を東急側が自力で整備するという形で決定した(2003年(平成15)年)。もともと、荻塚線は南西急行神宮線の延伸として構想されており、武蔵神宮を境界とした取り扱いは、経営主体が東急であろうが南西急行であろうが同じでなければフェアにならないからである。よって、仮に荻塚線を南西急行が経営することになったとしても、武蔵神宮から都心側区間の輸送力増強の投資は南西急行が自己資金で行わねばならなかった。

 ちなみに、そうなった場合、南西急行はどのような設備投資を想定していたのか? 当研究会が南西急行の関係者から聞き取りした限りでは、神宮線からの列車(優等列車)をどうやって東京方面に流すかについて

  • イ:緩行上り線のさらに西側に1線増線する
  • ロ:急行下り線のさらに東側に1線増線する
  • ハ:急行線の渋谷紅林間の信号設備を改良して増発を可能にする

 といったことが考えられていたらしい。イ・ロ は周囲が都市化してしまった区間の設備に大幅に手を加えなければならず、ハ にしても増発した列車の折り返し設備を都心側に整備するのも非常に困難であることから断念した、ということのようである。反面、東急側はそれをやってのけているわけだが、東急としては都心側の路線網を改良すること自体が自社に必須の設備投資であるのに対し、南西急行はすでに都心側には必要なハードウェアが有り、延伸区間の需要を受け入れる目的だけでは過大投資になるというところが根本的に異なっている。

(4)車両基地の問題

 荻塚線建設においては、東急側にも「車両基地の用地が手当てされていない」という大きな課題があった。これは、荻塚線がもともと南西急行神宮線の延伸構想であり、車両基地は関係者間でなんとなく(現在の)紅林検車区が想定されていたからである。この課題に対し、東急側は「紅林車両基地に荻塚線の車両を収容させろ」という驚くべき提案を南西急行側に行った。

 東急側担当者から競合路線に車両基地を提供するという前代未聞の話を聞かされた南西急行の担当者は、当初は「コイツは心臓の毛にパンチパーマでもかけてんのか」と酷いことを考えたそうだが、相手の立場に立ってみれば、鉄道屋なら出てきて当然の発想ではあった。協議事項は主に以下の5つ。

  1. 紅林車両基地の工場を廃止した跡地に東急荻塚線用の車両留置線を東急の負担金で設ける
  2. 東急武蔵神宮駅(地下駅)から南西急行東城学園駅に至る回送線を東急財産として設ける
  3. 東城学園駅紅林検車区との入出区用折り返し線を東急の負担金で設ける
  4. 東急荻塚線用車両の検査は南西急行が東急から委託を受けて行う(分解検査は東急が長津田工場で行う)
  5. 車両基地の使用料は、検査委託料とは別途に「アボイダブルコスト方式」で算定し東急から南西急行へ支払う
紅林検車区/紅林検車区東急車受入時の配線.gif
紅林検車区の現在のレイアウト

 特に重要なのは第5項のアボイダブルコストの解釈であった。

 南西急行側の主張は、「仮に東急側が独自に車両基地を整備したとして、それに要するイニシャルコスト・ランニングコストを基に算定すべし。それが東急側が本件で回避可能(アボイダブル)なコストとなる」である。一方、東急側は「X県の計画の前提は紅林車両基地を使うというものであり、当社が独自に基地用地を手当てすると仮定しても立地条件によってコストはどうにでも変わるのだから仮想設計の意味が無い。基地使用料は、当社車両が無ければ南西急行側が負担せずに済むはずの費用=アボイダブルコストによって算定すべき」と反論した。すなわち「誰にとってのアボイダブルコストで考えるべきか」が争点になったのである。

 当時、南西急行と東急は目黒台線建設について喧々諤々の協議を行っていたが、こちらは「地下車両基地の躯体を、デベロッパーである東急側の財産として建設せよ」と少々虫のいい条件を提示していたことから、南西急行側はそう高飛車に出られる状況ではないと判断し、東急案の条件で合意したのである。

(5)荻塚線の設計

 荻塚線は、超大雑把に言えば「大井町線の尾山台駅(地下化のうえでの複々線化されている)から西へ分岐し、そのまま多摩川を地下でくぐって5駅先の春日屋まで地下区間とし、三杉台以西を地上区間として境川を渡り、JR荻塚駅の北東に設けた地下駅を終点とする」という基本設計であった。地元との設計協議の結果の変更点は以下のとおり。

多摩川橋梁
多摩川を地下線で渡ると伏流水の流れを遮断して自然環境に影響が出ることから、一旦地上に出て橋梁で渡河してから再度地下に潜って武蔵新城に向かう、という線形に変更された。荻塚線の建設が遅延した最大の理由。
武蔵神宮駅
静かな住環境を乱されたくない、という理由で建設工事そのものに反対する住民が多く、最も協議が難航した(南西急行が建設を渋った理由の一つ)。南西急行駅の1番線を撤去してその地下に東急線駅を建設し、駅舎も南西急行と共用して従来の街並みを大きく変えないように配慮することで決着した。
三杉台駅
将来の急行停車駅として2面4線化可能とするものの、X県側は当面棒線駅で整備することを主張。東急側は急行運転が早期に必要になった場合の手戻りのリスクがあることと、車両基地の留置線不足に対応することの必要性から当初から2面4線で建設することを要望しそのようになった。

(6)建設工事

 荻塚線の建設工事は2005(平成17)年度から開始された。前述のように多摩川の渡河工法が変更されたりしたことで都心側の着工が遅れ、2011(平成23)年度開業を目指していたが同年の東日本大震災の影響を受け、X県からは武蔵神宮以遠の部分開業を求める声も上がった。しかし、部分開業による乗客の受け皿が神宮線しかないことから南西急行は準備不足(本音を言えば、神宮線の輸送力と利便性の欠如を南西急行の責任にされてはたまったものではない)を理由に拒否。東急側も、先行開業区間の乗客がそのまま南西急行に定着してしまうのは不都合であることから難色を示し、全線を一挙に開業させる方針に落ち着いた。

 2013(平成25)年3月に開業を迎えることができたが、さすがに工期末における突貫施工はいろいろと無理が生じ、結局武蔵神宮以遠の完成検査と試運転を先行して実施しており、尾山台~武蔵神宮間の試運転開始は開業のわずか1週間前であったという。東急は建設工事の経験は百戦錬磨の域に達しているが、純然たる新線建設のノウハウの蓄積は新玉川線以来途絶えている。また、地元と揉めたところも東急グループの神通力がかつてほどには及ばなくなった地域であり、これらの点がプロジェクト管理上の反省点として指摘されている。

(7)その後の利用状況

香堂駅/kyodo_fifth.gif
香堂駅の現在の構造

 沿線人口の張り付きが弱いことから乗客増のペースは緩やかであるが、JR織田原線からの乗換客を中心に東急グループの目算どおりの成績を上げている(とされている)。想定外の影響としては、武蔵新城でのJR川浜線川浜方面への乗換客が多く、川浜線の列車が紅林駅に高い混雑度で到着するようになり、南西急行からJR川浜線への乗り換え客が乗車しにくくなった点が挙げられる。

 南西急行側が懸念していた東急線への乗客逸走は、平成29年度の株主総会の質疑において旧京神線区間全体で2~3%の乗客減で「想定の範囲内」と回答しているが、その声には口惜しさが滲む。最も影響が出たのは、これまで乾駅に発着していたバスのうち、駅の北西側の系統で定期客が3~4割減となったことで、同駅に併設されているデパートの営業成績も下降傾向がみられる。

 また、香堂駅では、これまで東急側が南西急行に通勤客を運び込むという流れであったものが逆転しており、南西急行の経営陣を愕然とさせたという話もある。同駅から東急の急行に乗れば目黒まで2駅で、そこから先も地下鉄2路線に直通となればさもありなん、というところであろう。

 このように、東急荻塚線の開業は南西急行にとっては現在のところ痛い結果となっているが、一方で東急の利便性向上は南西急行の定期外客を増やす効果もあり、踏んだり蹴ったりというわけでもない。特に、東城学園~東急武蔵神宮間の入出区線は、臨時列車の運転も可能である(まだ実績は無いが)。両社の関係性は今後も注目しておくべきであろう。


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