旗塚駅改良
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旗塚駅は、南西急行の中でも特に大きく姿を変えてきた駅である。また、緩行線と急行線の相互乗換駅として輸送上非常に重要であり、線路配線も複雑な経緯をたどっている。本項では、当駅の設備の変遷を辿る。 |
1.複々線化前の旗塚駅

当駅は地形の関係で開業当初から高架駅であり、山手通りに面して改札口があった。旗塚駅は京神電鉄にとって都心側の重要拠点であり、山手通りの上空にかなり広い路盤を張ってでもスペースを確保するという方針で建設されていた。この構造が、後の拡張工事に大いに役立つことになる。

当駅はホーム2面、着発線4線の構成であり、上り線のさらに山側に2線の留置線があった。グレー(駅構造図ではオレンジ)の2線は保守基地線である。
2.複々線化に伴う改良

紅林複々線化に際しては、
- 1番線を使用停止して下りホームを拡幅
- 山側の留置線を廃止して上り線(いずれ急行上り線になる)化
- ホームの外側2線(暫定緩行線)のみを使用して上りホームを山側に移設
- 緩行線を地平から高架に切換
- 旧緩行線を急行線に造り替える
- 複々線化(恵比寿支線も同時開業)
以上のような手順で施工した。駅の構造としては、ホームから改札へ降りる階段を神津方へ移転し、急行線と緩行線の乗換客の動線を阻害しないように考慮されている。さらに、渋谷方にはかねてから地元から要望の高かった東口が新設された。当時は東口は代官山側にしか通じていなかった。

下りホームを拡幅し上りホームを山側へ移設。当駅は特に夕方ラッシュ時に緩行線と急行線を相互に乗り換える乗客がホーム上で長い徒列をつくることが予想されており、ホーム拡幅は必須の施工内容であった。

緩行線を高架に切換。この段階ではホームの中2線は恵比寿支線建設のための工事ヤードとして使われており、列車の発着には使えなかった。

急行線を新設し複々線化、恵比寿支線を開業。急行線は、駅の神津方で一旦地平に降りてから再度高架に駆け上がる構造になっている。これは工事費を削減するためだが、この構造にしたことで、後に緩行線の高架下にホームを増設する際に折り返し設備を設けることができた。東口駅舎は、恵比寿支線の工事が形になるまで着工できなかったので、使用開始が最終段階にまで持ち越された。
3.上り急行線ホーム増設

平成4年10月のダイヤ改正で急行線は朝ラッシュ時の運転本数を16本/時から24本/時に増発することになり(別項「東京線輸送力増強」も参照)、都心側の受け入れ態勢整備として当駅の上り線にホーム1面・着発線1線を増設する工事が施工された。その際、保守用車線を潰しているが、これには後に新宿~渋谷間の明治通りトンネルの設備を造り変えて保守作業を削減する前提があった(別項「新宿駅改良」も参照)。

上り急行線ホームを増設。4・5番線は列車の両側のドアを開けることで停車時間を短縮することができた。このころには旗塚駅自体の乗降客数が大きく延びて上りホームの容量も不足気味であり、ホーム増設は喫緊の課題であった。
また、新宿駅改良工事に伴い、新宿・渋谷間を営業休止するため、従来渋谷駅で折り返していた通勤特急(平日朝ラッシュ時運転)を当駅で折り返しさせる設備が必要となった。そこで、当駅4・5番線から神津方へ折り返すためのダンパー線が設けられ、平成5年10月から平成8年10月まで使用された(その際のダイヤはこちらを参照)。
4.東口駅舎バリアフリー化

平成12年11月、東口駅舎のバリアフリー化と出入口増設が完成した。これは、当駅の東南側に著名な大学病院が立地しておりバリアフリー化の強い要望があったためで、乗降客数の多い西口改札よりも優先して施工された。
5.旗塚駅大改良工事

平成25年11月に完成。この工事は、高架ホームの上層に人工地盤を構築して自由通路とエキナカ施設を設けるという大規模なものであり、平成19年の着工から6年の歳月を要した。工期が長期に及んだのは、多くの利用客がある当駅のホームに工事用の仮囲いを同時に多数設けられないという制約があったためで、必然的に工事費も巨額にならざるを得なかった。
それでも南西急行があえて当駅の改良に踏み切ったのには、緩行線・急行線の乗換駅としてエキナカの商業ポテンシャルが大きいことと、東京都による駅前広場の整備によって道路交通との連携を強化する狙いがあった。新宿駅・渋谷駅は巨大過ぎて道路交通との結節点としては使い勝手が悪く、特に団体観光バスの発着には不向きであり、当駅は昨今の東京観光ブームに対応した南西急行の東京口の新拠点として大いに期待されている。
また、本工事では、美咲方の緩行線高架橋の下に地平ホームが新設された。この設備により平日朝のラッシュ時間帯にも団体臨時列車を出せるようになり、南西急行の営業力強化に絶大な効果を発揮している。
この結果、当駅は南西急行では美咲駅に次ぐ大規模駅に変貌を遂げたのである。なお、駅施設の詳細は別項「旗塚駅」を参照されたい。

平成21年10月、上り急行線を海側に移転し線路切換を果たした直後。かなり広いスペースが空いたように見えるが、実際には緩行線の高架橋が敷地の中央を縦貫しており、この後の施工は決して楽なものではなかった。
この工事では、この新上り急行線用の用地確保(土地区画整理事業によって捻出された用地を南西急行が購入した)や、6番線側の駅前広場予定地をヤードとして借用するなど、都側に大きな借りを作っており、設計協議の段階から譲歩を余儀なくされた。例えば、本来3階は全面的にラチ内施設とする計画であったが、東京都の強硬な要望により自由通路を兼ねる構造となっている。また、1Fの駅施設スペースを割いて、都バス用のターミナル施設が設けられた。

地平ホーム(7・8番線)と目黒台線の地下線へのスロープを構築中の状態。

7番線・8番線を使用開始。さらにダンパー線となっている11番線を利用して下り急行線の列車順序変更が可能となり、ダイヤ乱れ時の運転整理にも有利になっている。12番線(暫定折り返し線)は、目黒台方に潜っていくスロープ部分に、水平の引上げ線を仮設したもので、新宿~当駅間の緩行線連絡列車の折り返しに使用した(三泉までの折り返し回送を解消するためである)。
6.目黒台線開業

暫定折り返し線はわずか半年しか使用されなかった。このような無理をしたのは、設備改良によるダイヤ改善の効果を少しでも早く享受したいという運転・営業サイドの意図による。しかし、設備サイド(特に信号部門)は短期間の間に複数回の配線変更を強いられて不平満々であったという。コスト的にも割に合う話であったのか疑問の残るところではある。