南西急行電鉄研究会

新東京メトロ谷町線


1.路線概要

 新東京メトロ(旧首都高速度交通営団)谷町線は、銀座線・日比谷線のバイパス線として建設された路線である。速達性と建設費低減を考慮して駅数が恵比寿西麻布谷町霞ヶ関大手町御茶ノ水鳥越浅草白鬚橋北千住の10駅に絞り込まれている。このため、各駅ともホームの両端に改札口を設け、駅勢圏を拡大して乗降客数を稼ぐ方針で設計されている。火災発生時の避難経路を確保するうえでも有利な構造と言える。

 路線の両端の恵比寿駅および北千住駅はそれぞれ南西急行および新東武鉄道の管理駅である。また、浅草駅は新東武鉄道の浅草旧駅とは別の扱いであり、運賃制度を簡略化するため連絡運輸も行っていない。

 非常用の折り返し設備は浅草霞ヶ関大手町御茶ノ水にあり、"様々な事情"で皇居前広場が閉鎖される場合に備えて、霞ヶ関~御茶ノ水間を完全に運休できるようになっている。大手町駅は2面3線の構成で、本来は非常時の待避用の設備であるが、通常は団体列車・臨時列車の発着にも活用されている。また、恵比寿駅の都心側には留置線があり(留置線部分までは南西急行の財産)、夜間には2編成が滞泊する。

 他の新東京メトロ路線とは線路がつながっておらず、新東武鉄道を介して日比谷線と車両のやり取りが一応できるようになっているが、実施された例は無い。谷町線用の車両は全般検査まで南西急行に委託されているので、沿線に車両基地が無いことも特徴である。

新東京メトロ谷町線/2021新東京メトロ谷町線.png
新東京メトロ谷町線配線図

2.建設の経緯

(1)谷町線の計画

 新東京メトロ谷町線は、昭和43年度の都市交通審議会で整備路線11号線として答申された路線で、京神電鉄と東武鉄道(当時は”新”がついていなかった)から流入してくる通勤客の受け皿たることが目的とされた。これは、京神電鉄とX県の運動の成果であった(その経緯はこちらを参照

 昭和40年代初頭の都心南西側の地下鉄事情を見ると、銀座線はすでに輸送力的に限界で新路線が必要とされており、国鉄線乗換駅たる渋谷駅の混雑を緩和する目的から新路線と京神電鉄の接続点は恵比寿駅とされた。

 一方、都心北東側では、東武鉄道が日比谷線との直通運転を開始していたものの、近い将来の同線のパンクも確実視されていた。そのため、東武鉄道は独自に都心アクセスルートの強化を画策したが資金面の問題から断念し、最終的には営団が新路線を北千住まで建設し、東武が乗り入れる扱いとなった(別項を参照)。営団にとっては、東武からの乗客が北千住から日比谷・千代田・谷町のいずれの路線に乗り換えても運賃収受上の問題が発生しないようにした方が都合がよかったのである。

 谷町線のルートは、恵比寿~六本木通り~霞ヶ関~大手町~御茶ノ水~浅草~北千住で計画されたが、当時の第一等商業地である日本橋や銀座を経由せず、山手線との接続点もマイナーな恵比寿のみであり(東側には山手線との交点に駅を設けない計画とされた。谷町線は両側の私鉄線から流れ込んでくる通勤客を迅速に都心に送り込むための路線なので、当時の国鉄の最混雑区間である上野~秋葉原間に乗換駅を造るのは得策でないと判断されたのである)、他の地下鉄路線に比べて経由地がいまいち魅力に欠けることが指摘されていた。そこで谷町線は駅数を減らして銀座線・日比谷線に対する急行線として利便性を確保する方針で計画された。

 設備仕様としては、軌間1067mm、直流1500V架空電車線方式で、4扉20m車8両編成に対応することになった。10両にならなかったのは京神と東武の最大編成両数が8両であったからだが、もちろん建設費の縮小という意味もある。

 路線計画上問題になったのは、霞ヶ関~大手町間で皇居外苑の地下を通過することであり、関係諸機関との協議に手間取ったために開業が遅れた。最終的には、北の丸を首都高速道路が通過していること、外苑にはすでに内堀通りが通っており道路交通に供されていることをタテに押し切った形となったが、外苑内に設ける予定であった行幸通り駅(内堀通りと行幸通りのT字路付近)は、北に移動して大手町駅へ変更された。

 また、谷町線の恵比寿駅北千住駅はそれぞれ京神電鉄(すなわち南西急行)と東武鉄道の管轄となり、車両基地も直通運転先に求めなければならず、これらの諸問題に関する営団・京神・東武の三者協議に多大なエネルギーが費やされた。直通運転に関する全ての協定が締結されたのは昭和46年12月(基本合意は44年9月)であり、このとき京神電鉄の恵比寿駅は完成目前だったのである。

(2)谷町線建設の進捗

 営団谷町線は、昭和43年度の都市交通審議会答申、営団・京神・東武の三者の直通運転に関する協議(昭和44年9月基本協定締結)を経て、昭和45年8月に着工された。工事は恵比寿側が優先され、昭和50年3月21日に恵比寿~霞ヶ関間が開業し、神津~霞ヶ関間の直通運転が開始された。つまり恵比寿駅がターミナルであったのは3年半の間だけである。

 谷町線は、前述のように皇居外苑地下を通過する予定であったが、行幸通り駅の建設は中止され、北へ200m移動した位置に大手町駅を建設することになった。このことにより、他線への乗り換え通路などを整備した結果、建設費の上昇を招いた。

 この影響で、恵比寿霞ヶ関間開通後の工事は浅草口が先行し、昭和55年10月23日に御茶ノ水北千住間が開業し、東武の車両が御茶ノ水まで乗り入れを開始。翌年昭和56年6月10日に霞ヶ関~御茶ノ水間が開通(というより大手町駅が完成、という方が正しい)し、南西急行・営団・東武の三者直通運転が開始されたのだった(この直通運転開始と共に東武鉄道は新東武鉄道に社名を変更した)

(3)新東武北千住駅の改良

 北千住駅は、昭和56年の谷町線全通以来、同駅での折り返し運転ができない構造であり、南西急行からの直通列車も1/3は大手町浅草で折り返しせざるを得ない状況が続いていた。しかし、谷町線への流入客の割合は南西急行2:新東武3であって列車本数と逆転しており、北千住口の混雑緩和は新東武・営団両者の大きな経営課題であった。

 そこで新東武鉄道は平成4年に北千住駅を重層化してホーム数を3面5線から地上2面5線+高架2面3線と大幅に増強する工事に着手し、平成9年3月にこの難事業を完成させた(一部、営団からの負担金が充当されている)。この工事の経緯については別項を参照されたい。これにより南西急行からの直通列車はほぼ全数が北千住まで顔を出すようになり、結果的に南西急行の後背地が拡大して乗客数の増加につながった。

3.谷町線のダイヤ

 を参照されたい。

4.車両

 南西急行(緩行線)・新東京メトロ・新東武鉄道の三者では、直通運転に際して車両性能・運転取扱の統一とコストダウンのために車両設計の共通化を図っている。車両運用も完全に共通であり、三者の保有車両数・営業キロに応じて、車両使用料の精算が最少額になるように(精算に伴って発生する消費税や事務処理コストを節約するため)、運用パターンに対して充当する編成を動的に割り当てる方式が採られる。ただし、各種の検査は、新東武の車両は新東武線内の基地で、新東京メトロと南西急行の車両は南西急行線内の基地で行う。

 新東京メトロの谷町線用車両は、昭和50年3月の霞ヶ関開業時点では東西線用の5000系車両を暫定的に投入し、昭和56年に8000系が専用車として登場した。この車両は一回リニューアル工事が施工されているが、全体的なデザインの古さは如何ともし難く、新型車が熱望されてきた。平成26年11月に至ってようやく後継車18000系が出現している。



最近の更新
アクセス数
累計: 2742553
本日: 104
昨日: 3790
一昨日: 4049

Contents