南西急行電鉄研究会

南街道本線


1.路線概要

 南街道本線は周知のように東京~神戸間の路線だが、ここでは東京~矢積間のJR東日本区間のみを扱う。

 運転系統としては、大宮から東京を経て美咲まで各駅に停車する「京浜東北線」と、東京~美咲間で通過運転を行い矢積・静浜まで直通する「南街道線」の2つがあり、通常の複々線のように緩行線・急行線とは呼ばれていない。

 東京~神津~美咲の3都市間の輸送に関しては、南西急行・南街道本線・南武鉄道の3路線が競合しており、俗に「三南戦争」と呼ばれているが、3社としては「あれはあれ、それはそれ」で場面ごとに競争関係と連携関係を使い分けているのが実態である。

南街道本線/rosen-JR.gif
JR東日本の路線図

2.ダイヤの概要

 京浜東北線および南街道線の一般列車は日中10分ヘッドのパターンを基本としており、京浜東北線は南浦和~椿町間の区間運転の系統と大宮~美咲間の全区間運転の系統がそれぞれ10分間隔で走る。一方、「南街道線」の列車は、東京~矢積間の系統が1時間に6本運転されるだけの単純なダイヤだが、実際には品川や成原で特急列車の待避があって運転間隔はあまり一定していない。

 平日朝ラッシュ時は神津口で京浜東北線が最短で2分30秒ヘッド、南街道線が3分ヘッドの運転となり、輸送力は非常に大きく、JR東日本の特長としてラッシュ時間帯でも所要時間がさして延びないこともあって競争力は強大である。

南街道本線/nankaido-annaizu.gif
JR南街道本線のダイヤ(日中の基本パターン)

南街道本線/JR-Air-Express.gif
特急エアーエクスプレスの運転系統

 南街道線の特急列車は、東京と静浜を結ぶビジネス特急「富士」と、美咲空港と成田空港・北関東空港を結ぶ空港アクセス特急「エアーエクスプレス」の2系統があり、成原駅断面で1時間に4本の特急列車が走っている。南西急行に劣らぬ特急重視路線と言える。

 特急「エアーエクスプレス」は、平成9年10月の運転開始当初は、堀池町から分岐する美咲港貨物線を経由し運河信号場から南西急行に乗り入れて美咲空港に向かっていた。しかし、JR東日本は南西急行側に乗り入れダイヤが制約されるのを嫌い、平成16年12月の美咲空港第二ターミナル開業に合わせて自社専用の空港アクセス線(単線)を整備し、平成19年10月には専用の駅を建設した。これは南西急行にとっては大きな脅威となっている(これらの経緯は別項を参照)。

3.南街道本線の車両

 緩行線に相当する京浜東北線は浦和電車区のE233系10連を使用。急行線に相当する南街道線はE231系ないしE233系10連を基本編成とし、需要に応じて5連の付属編成が増結される。基本編成には二階建グリーン車が2両連結されている。

 特急用車両は「富士」用にE257系10連、「エアーエクスプレス」用にE259系6連を投入している。

 南街道本線の車両は、三南戦争において優位性を確保するため常にJR東日本の最新鋭車両で揃えられているが、同社の他の線区の利用者からは南街道本線ばかりが優先されることに対する批判の声が強い。

4.南街道本線の沿革

 南街道本線は日本の最重要幹線として戦前には東京~矢積間が電化され、戦後、昭和28年には京浜東北線を延伸する形で成原までの複々線化を果たしていた。しかし、中央新幹線の開業後、「東京5方面作戦」の完成までこの方面の輸送改善は途絶えてしまう。南街道本線は東京~神津間で織田原線と線路を共用していたため、同区間の輸送力の逼迫は大変深刻なものであった。

 この問題をX県が独自の新線建設で解決しようとしたことが南西急行発足の要因の一つになっているが、国鉄側も決して無策だったわけではない。

(1)東京5方面作戦のあらまし

 首都圏の通勤・通学の混雑緩和を主目的とする「東京5方面」作戦は、

  • 中央線 中野~三鷹間複々線化(昭和44年完成)
  • 東北線 赤羽~大宮間3複線化(昭和42年完成)
  • 南街道線・織田原線の東京~神津間分離運転
  • 総武線 東京~津田沼間線増(昭和47年完成)
  • 常磐線 綾瀬~我孫子間複々線化(昭和46年完成)

 の5つの線増を同時展開するという今日では到底不可能な大プロジェクトである。このうち、最も難航したのが南街道本線方面であった。この計画はいくつかの工事が互いに複雑に連携することで成り立っており、単なる線増工事でなかったからである。その概要を述べると次のようになる。

  1. 武蔵野線(新鶴見~西船橋間)の建設により貨物列車を山手貨物線から移行させる
  2. 品川~新鶴見~子安間の通称「品鶴線」の旅客線化(軌道強化および線形改良等を含む)
  3. 子安~神津間に織田原線用の線路を線増
  4. 東京~品川間の地下新線の建設
  5. 南街道貨物支線(新鶴見~東京貨タ~汐留間)の建設

 これらの中でネックになったのは2.および3.であった。2.では、品鶴線の旅客線化に伴う運転頻度の増加による騒音が(まだ発生してもいないのに)問題化し、3.では現在の新神津駅付近で用地買収が大変難航した。

 その経緯についてはここでは述べないが、結局南街道線と織田原線の分離運転は難産の末昭和55年10月1日に開始され、輸送上の隘路がとりあえず片付いたのだった。このダイヤ改正で織田原線と総武快速線の直通運転も合わせて開始されている。

 ちなみに、翌日の10月2日には南西急行の新成原~神津間が開業しているが、これは開業式典の来賓のスケジュール重複を避けるために県の要望で開業日を1日ズラしたためである。このことは南西急行側を大いに怒らせたが、当時は南街道本線の輸送改善の方が沿線自治体にとってはるかに重要なことだったので、致し方なかった。

(2)第二次東京5方面作戦

 正確には、東京5方面作戦の第二期工事であるが、新規プロジェクトを加えてこのように呼ばれた。

  1. 中央線 三鷹~立川間複々線化(昭和60(1985)年完成)
  2. 埼京線 赤羽~大宮間建設と川越線電化・直通運転化(昭和60(1985)年完成)
  3. 南街道線 成原~美咲間複々線化(昭和60(1985)年完成)
  4. 総武線 津田沼~千葉間複々線化(昭和56年完成)
  5. 常磐線 我孫子~取手間複々線化(昭和61(1986)年完成)

 この中で重視されたのが中央線・南街道線・総武線であった。これらはいずれも「本来複々線でなければできないダイヤを複線で実施している」とされ、本線同士の平面交差が存在する等の問題点を有しており、早急に改善する必要があった。

 南街道線と総武線は同時に完成することとされていたものの実際にはうまく行かず、南街道線が先行して昭和56年7月5日のダイヤ改正で使用開始され、3.の完成はその4年後になったが、とりあえず国鉄の分割民営化には間に合ったのだった。

(3)ダイヤの変遷

 昭和55年に南街道本線と織田原線の運転線路が分離されるまで、両線は全く同じ113系編成を使用して交互運転をしていた(かつては車両は共通運用であったが昭和43年に運用分離されている。この経緯により、織田原線、ひいては総武快速線にもグリーン車が連結されることになった)。朝ラッシュ時は2分30秒間隔の運転で、113系の性能を考えればすでに限界以上の運転である。これが分離運転を急がせた要因であった。一方、京浜東北線は、昭和30年代には桜町~南浦和間で日中5分間隔の運転が確立していた(ちなみに、京浜東北線とは南浦和~川浜間の電車運転開始時につけられた名称で、それがそのまま現在まで続いている)。分離運転の実現によって、朝ラッシュ時の輸送力は飛躍的に改善され、南街道本線は成原以北で最短3分ヘッドの運転が可能になった。しかし、日中は成原以南の複線区間がネックになり、貨物列車とのダイヤ競合もあったために15分ヘッドのままであった。そのため、南西急行・南武鉄道の猛追撃を受けることになる。

 そこで国鉄は昭和60(1985)年7月の成原~美咲間複々線化完成に伴うダイヤ改正によって大規模な輸送改善を実施した。まず、南街道線列車を日中10分間隔にヘッドカットし、さらに全列車を矢積まで直通運転とした(それまでは矢積直通は30分ヘッドであった)。停車駅も、成原~美咲間各駅停車であったのを、途中北美咲のみの停車に改め、国鉄としては極めて珍しい停車駅削減策を採った。これも、南西急行および南武鉄道との競合を意識してのことであった。ちなみに、このダイヤ改正で当時の最新鋭車211系が投入されている。

 その後、国鉄の分割民営化によって発足したJR東日本は、民間会社として競争力強化の姿勢をアピールすべく南街道本線に経営資源を集中投下し、新型車両の優先投入や駅設備の改善等の諸施策を展開した(そのため他の路線の沿線からはあまりに露骨な南街道本線偏重に対する恨み節も聞こえる)。平成27年3月には東京・上野間の「東北縦貫線」が完成し、南街道本線⇔宇都宮・高崎・常磐線の直通運転が開始されており、首都圏の広範な需要を取り込んで南西急行に対する競争力を大幅に強化している。



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