八浦駅改良
八浦駅は旧青海鉄道の根拠地であり、当駅の高架化工事は青海線複線化と同時に推進され青海線の輸送力増強の大きな一要素となった。以下にその構造の変遷を述べる。 |
0.高架化前の八浦駅
八浦駅は青海鉄道時代から構造があまり変わっていない。青海線の駅舎に八浦鉄道の頭端式ホームがぶつかるような構造であり、両線の乗り換え動線はあまりスムーズなものではなかった。
図版の左上側が西口で、見てのとおり完全な裏口。表口たる東口との格差解消が高架化工事の一つの目的であった。
1.昭和57年3月
上りホームを閉鎖し、旧八浦鉄道用ホームを延伸して青海線下りホームに転用。八浦鉄道は仮設ホーム発着に移行。青葉ヶ丘駅も仮設ホームを使用開始。列車取扱能力の減少を補完するため、当駅~市浜駅間を複線化した。
仮駅舎および八浦鉄道用仮設ホームを設けて機能移転した直後に東口駅舎を撤去し、1・2番線ホームを青海ヶ浦方へ延伸しスルー化したところ。5・6番線ホームは使用停止されている。改良工事の間、最小限の機能のみを持たせた仮設駅でやり過ごすというのは紅林複々線化において京神電鉄が三泉駅改良や紅林駅改良で使った方法であり、当駅もそれに倣ったものと思われる。
八浦鉄道の仮設ホームは本来の駅よりかなり北に離れ、本駅との間は徒歩連絡となって著しく評判を落とした。跨線橋の下の仮設トイレはラチ外となり、位置的にも、主なユーザーたる南西急行⇔八浦鉄道間の乗換客の動線上から外れている。
2.昭和59年9月
上り高架ホームを使用開始。このとき青海線は郡塚駅まで複線化されている。この後、旧上り地平ホームを撤去して下り高架ホームの構築を始めた。
上り高架ホームの建設は、西口駅舎(図版では高架駅の影に隠れている)と上り仮ホームとの間の極めて狭い空間で施工しなければならず大変な苦労を強いられた。図版では見えないが、高架駅の1階にはラチ内トイレが設けられており、仮設駅のラチ外トイレしか無いという状況は解消されている。この後、西口駅舎は撤去された。
3.昭和59年10月
下り線の市浜駅方の配線を変更。これは、下り線用の高架橋の建設スペースを確保するためで、工期を短縮すべく先の切換からわずか1か月後に行われた。
4.昭和62(1987)年7月
下り高架ホーム使用開始。次の切換まで八浦検車区への入出区線が1線のみとなり、下り列車の入区に大きな制約が生じることから、八浦駅の青葉ヶ丘駅方の上下線間に片わたり線が1組仮設された。
この切換の後、下り地平ホームを撤去して八浦鉄道用の高架ホームを新設。次の切換までの間、八浦鉄道の車両は八浦検車区に入区できなくなるため、同社は臨時に自社で車両を整備する体制を整えねばならなかった。
下り高架ホームの建設も、上りホームと同様に困難な工事であった。3番線の美咲方(右上方向)の下には、八浦鉄道の仮ホームにつながる跨線橋が設けられている。この跨線橋は、仮ホームの駅舎が八浦鉄道線の高架橋建設に支障して使えなくなるのを代替するためのものである。これにより、これまで不便を強いられていた乗換客がようやく報われたのであった。
5.平成元年10月
八浦鉄道用高架ホーム、八浦検車区への入出区線を使用開始。青葉ヶ丘方に仮設していた上下わたり線は使用廃止。切換後、八浦鉄道用仮設ホームを撤去。
東口仮駅舎と跨線橋を撤去し、2階コンコースに直結する形で八浦鉄道のホームを新設(仮設ホームは使用停止)。一種の切り欠きホームとして着発線を2線設け高架化前と同等の機能を確保している。それでいて所要スペースは高架化前よりさらに狭い。
6.現在の八浦駅
2002(平成14)年3月、八浦検車区への入出区線を増設し、八浦支線を開業。その後、2019年度に終点方の渡り線を両渡り化した。これが現在の配線である。
バリアフリー化、エキナカ開発を果たした現在の八浦駅の構造。青海線と八浦鉄道の乗換客による商業需要を狙って、2階の業務スペースはすべてラチ内店舗に造り替えられた。旗塚駅改良や三泉駅改良のケースと同様に、道路の上空に商業施設を設ける件は問題になったが、例によって「もともとここは南西急行の鉄道用地だった」の論理で道路管理者を説き伏せている。