ダイヤの変遷Ⅱ
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本項では、南西急行電鉄の全線直通化後から平成4年10月の白紙改正までの、輸送力増強期のダイヤの変遷について概説する。 |
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1.昭和56年6月ダイヤ改正-営団谷町線全通


昭和55年10月23日、営団谷町線の御茶ノ水~北千住間が開業し、東武の車輌が御茶ノ水まで乗り入れを開始した。時期的には湾岸新線の開通と同じである。なお、この直通運転を期に東武鉄道は新東武鉄道に社名を変更した。
翌昭和56年6月10日に、工事が遅れていた霞ヶ関~御茶ノ水間が開通し、南西急行・営団・新東武の3者直通運転が開始された。この改正では、新登場した営団8000系や新東武7000系等の他社車両が日常的に姿を見せるようになり、それまで独立独歩路線の感が強かった南西急行がようやく首都圏の民鉄ネットワークの一路線として認識されるようになった。
日中の基本ダイヤを述べると、緩行線・谷町線は引き続き神津~北千住間で各停のみ7.5分ヘッドの運転で、さらに北千住から新東武線に乗り入れた。新東武線内では全列車が優等列車であり、日中は準急(東武動物公園まで通過運転)として館林まで1時間に2本、新栃木まで1時間に2本、区間準急(越谷まで通過運転)として杉戸(後の東武動物公園)まで1時間に4本運転された。
当時の谷町線は、正直なところ通過地にあまり魅力が無い路線で、南西急行~谷町線~新東武の都心貫通ルートを形成して初めて集客力を発揮するようになったのである。
2.昭和58年3月ダイヤ改正-急行の増発

湾岸新線は、開通後も沿線の開発がなかなか進まなかったが、東京と美咲以遠の流動を大いに活性化させた。特に急行は、当初の予想をはるかに上回る輸送実績を示し、運転開始後数ヶ月で需要予測の過小が指摘されるようになった。
そこで、昭和58年3月のダイヤ改正では、新型車5000系の増備により、神津折返しの急行を延長して湾岸新線区間でも15分ヘッド運転に倍増させた。この時点では急行は美咲以遠がまだ各停運転で、全区間の速達化は八浦駅高架化が完成した昭和62(1987)年7月からであった。また、昭和58年4月のKDW開園に先立って海浜公園が停車駅に追加されている。

3.昭和60年3月ダイヤ改正-準急の増発
(1)東京線(緩行線)

(朝夕の通勤準急は三泉を通過、谷町線内各停)
湾岸新線の開業後、南西急行の各路線は次第に一つの鉄道会社としての一体感を増してきたが、それに伴ってさまざまな問題点も顕在化してきた。旧京神電鉄区間の混雑の激化もその一つである。
特に、紅林~神津間の各駅は、かつて京神電鉄の準急が速達サービスを担ってきたところだが、昭和53年の暫定ダイヤで準急は消滅、昭和55年11月の全線直通化でも同区間をカバーする速達列車は設定されず、利便性の低下は明らかだった。各停により利用可能本数は確保されたものの、速達列車を利用するには紅林か乾で乗り換えが必要であり、その速達列車にしても、新たに開拓した東京~神津~美咲間の都市間利用の乗客によって混雑が激しく、到底快適と言える状況ではなかった。
そこで、日中においても準急の復活を求める声が高まり、南西急行も昭和60年3月のダイヤ改正で京神電鉄時代からの上得意客の要望に応えた。この時点における日中1時間のダイヤパターンは図のとおりである。昭和55年時点に比べ、緩行線の躍進が著しいことが判る。特に、神宮線列車の本線直通が復活したのは大きな改善であった。
従来の平日朝夕ラッシュ時のみ運転の準急(休日ダイヤには設定がなかった)は通勤準急に変更され、日中に新設した準急は三泉に追加停車して各停と接続した。
また、準急は営団谷町線内では谷町と西麻布を通過して速達化し、大手町駅の中線を使用して折り返した。これは、当時、新東武の北千住駅が谷町線方面へ折り返し運転できない配線であったためで、大手町での折り返し時間を確保するため、地下鉄内でも通過運転を行ったのである。
(2)青海線・水澄線
青海線・水澄線は、従来は美咲~八浦間および美咲~矢積間の各駅の需要を重視した普通列車中心のダイヤを構成していた。しかし、全線直通化以降、八浦以遠・矢積以遠の各駅から美咲への乗客の流れも強くなり、両線にも速達列車が望まれるようになった。
そこで、本改正では平日の朝ラッシュ時の両線に準急を新設定した。これまで八浦以遠・矢積以遠から運転されていた普通を準急化し、新たに八浦・矢積始発の普通を設定することで従来の需要と新規需要の両方に対応している。停車駅は、青海線が青海ヶ浦~八浦間各駅、名取、桂木町、美咲。水澄線が水澄~矢積間各駅、神明峠、柊台、美咲で、現在の速達列車停車駅がこの時期に確立した。運転本数は両線とも朝ラッシュ時に30分間隔で5本ずつ。全線直通化から3年半が経過し、両線共に、東京・神津への通勤と美咲への通勤の時間帯が連続する輸送形態が定着しつつあった。準急の設定は、両線が観光路線から通勤路線に変貌していく証左と言えた。
なお、青海線・水澄線の増発は、東京線の急行用に5000系が投入され両線に2000系が転用されたことで実現した。以後、しばらくはこのような「お下がり転用」が続くことになる。
4.昭和62年7月ダイヤ改正-青海線複線化
青海線・水澄線は、東京口の複々線化や湾岸新線等の大プロジェクトの影に隠れてしまい、輸送改善が長らく進まなかった。しかし、「南西急行」発足の目的は、この両線を東京直結としてX県内の鉄道各線を有機的に機能させることにあり、そのために両線の複線化が県より強く求められていた。
特に、青海線は八浦以南が単線であり、そこへ首都圏から"全通"前の2倍以上の旅客が押し寄せるようになったため、輸送力不足が深刻であった。そこで南西急行は昭和58年より青海線の全線複線化工事に着手し、昭和62(1987)年7月の完成に合わせてダイヤ改正を実施した。
(1)急行の速達化
南西急行の全通後、八浦・矢積~神津・東京方面との都市間輸送の需要が増大するに伴い、年々特急列車の指定券入手難が問題化してきた。当時、特急はまだ「なぎさ」・「ひびき」がそれぞれ1時間ヘッドの運転であり、特急を補完すべき快速急行(不定期列車)は美咲で系統が分断されていたので、乗客が特急に集中することは避けられない。青海半島と水澄への観光輸送、美咲空港アクセス輸送に加えて、八浦・矢積への都市間輸送まで担うようになると、近い将来に特急列車の輸送力が完全に破綻することは確定的であった。
そこで、それまでいささか列車の性格がはっきりしていなかった急行を都市間輸送の中心に位置付けるべく、これまで美咲以遠を各駅に停車していた急行の速達化が図られた。
この改正は、青海線八浦駅の高架化工事完成に合わせて実施された(高架化工事中は、同駅で折り返す列車を頻繁に設定することができなかった)。急行の停車駅は準急と揃えられ、青海線では桂木町と名取、水澄線では柊台と神明峠に停車した。これは朝ラッシュ時の急行も同じで、八浦・矢積→美咲間の所要時間は30分から20分に短縮され、八浦・矢積から神津・東京方面への通勤事情は大きく改善された。
しかし、これにより、ただでさえ混雑する急行がさらに混雑することになり、日中でもよほど幸運でなければ途中駅から着席することはほぼ不可能という状況で、特に湾岸新線区間における輸送力不足が深刻化した。このころから、最大編成両数を8両とした南西急行の基本計画が「致命的ミス」と批判を浴び始め、南西急行は抜本的な解決策の検討を始めたのだった。
(2)普通列車の再編

(快急は不定期運転)
青海線の全線複線化により、八浦以南の普通列車が1時間ヘッドから30分ヘッドへ倍増され、地域の足としての機能が格段に強化された。これまで典型的なローカル区間であった八浦以南は、徐々に美咲や八浦のベッドタウンとして発展するようになる。一方、水澄線は戸張以西が単線区間のままであり、同区間の特急列車は普通列車と平行ダイヤとなったために所要時間の短縮ができず、新宿~水澄間で2時間を切れなかった。
(3)矢積駅・御幸台駅高架化工事の影響
平成元年6月、矢積駅が高架化工事のため仮ホーム化され、同駅で行われていた緩急結合および折り返しが御幸台駅(昭和62(1987)年4月に柳原から改称された)に移管された。これにより、急行も原則として御幸台発着に変更されている。
5.平成2年7月ダイヤ改正-全線複線化完成
平成2年7月20日、水澄線戸張~水澄間の複線化が完工し、南西急行は神宮線を除く全線が複線以上の設備を有することとなった。そこで、青海線と水澄線の輸送改善を柱とするダイヤ改正が実施された。
(1)特急の増発

これまで、特急は7000系による定期便が青海・水澄方面に1時間ヘッドで運転され、これを美咲発着の8000系不定期快急が補完するという輸送体制を採っていた。しかし、特急への乗客集中という状況の改善には至らず、8000系も取替え時期を迎え、バブル経済の拡大による海外旅行ブームもあって、美咲空港アクセス輸送の強化が必要になっていた。そこで、この改正では特急用新型車7200系を10編成80両投入して、特急列車を青海線・水澄線内30分ヘッド、東京線内15分ヘッドに大増発した。また、水澄線の全線複線化により、新宿~水澄間は15分短縮の1時間53分になり、2時間を切ったことで利便性向上を大きくアピールした。
本来、この改正は秋に予定されていたが、南西急行はこの年のゴールデンウィークの多客に対応できず大規模な輸送混乱を引き起こしており、夏休み前にダイヤ改正を繰り上げた。そのため、この改正は異例の一発切換方式で行われ、準備不足が祟って3日間にわたりまたも輸送混乱を引き起こし、社会から厳しく批判を浴びたのだった。
この改正で失敗したのは、矢積・御幸台の改良工事がまだ完了していない段階で水澄線の輸送力増強を強行した点であった。両駅が分担して担うべき機能が御幸台に集中したことで、同駅の処理能力が追い付けなくなったのである。御幸台駅の要員数と作業ダイヤを大急ぎで見直して対処したが、水澄線は矢積駅高架化工事が完了するまでしばしばダイヤ乱れに悩まされた。
しかも、ここまで苦労して実施した特急の増発はすぐに輸送量の増大に追いつかれてしまい、補完列車用に8000系の代替車6000系の建造を急遽決定するなど、当時の南西急行は増え続ける需要に泥縄式に対応する状況が続いていた。
(2)区間急行の設定

(水澄線特急の御幸台停車および普通の御幸台折り返しは
昭和63年12月~平成3年12月の矢積駅高架化工事に伴う一時的措置)
昭和62年7月ダイヤ改正から急行は美咲以遠でも通過運転をするようになったが、当然ながら通過駅の利用客からの評判は悪かった。そこで、平日の夕方および土曜・日曜の朝夕に、急行の増発便を区間急行として美咲以遠各駅停車で延長運転した。要するにかつての急行と同じ停車駅である。
これで南西急行の列車種別は、各停・普通・準急・通勤準急・快速・急行・区間急行・快速急行・特急の9種類となり、複雑なダイヤが批判を浴びるようになる。これに対し、「開き直った」南西急行は平成4年の大改正でさらに列車種別を増やして、わかりやすさよりも輸送効率重視の姿勢を鮮明にしたのだった。
6.平成4年10月-白紙ダイヤ改正
平成4年10月、南西急行の歴史に残る、初の白紙大改正が敢行された。今日までの南西急行のダイヤの骨格を確立した、極めて重要なものである。キーポイントは以下の3つ。なお、この翌年、平成5年10月には新宿駅改良工事によって新宿~渋谷間が運転休止となったため、ダイヤそのものはわずか1年間しか適用されなかった。
(1)地上設備の増強
これまで述べてきたように、湾岸新線の全通後、南西急行の設備投資は青海線・水澄線を重点に行われてきた。しかし、この両線が増強されれば、美咲以北の東京線区間にもより大きな輸送力が必要になるのは当然のことである。
ところが、実際のところ、東京線(急行線)の地上設備は、通勤路線ではなく郊外路線レベルの輸送量が想定され、列車の高密度運転ができる設計になっていなかった。編成両数が8両に制限されているだけでなく、運転間隔まで制限されており、如何に需要予測が過少であったかが判る。特に信号設備は、設備コストを低減するために閉塞区間が長くなっていて3分間隔の運転が限界であり、輸送力的に破綻寸前であった。
そこで、東京線全線で30本/時(なんと50%増になる)の高密度運転を可能にするため信号設備の改良(ヘッドカット)工事が行われた。また、美咲駅と旗塚駅に上りホームが増設され列車取扱能力が大幅に向上した。詳細は別項を参照。
(2)朝ラッシュ時の増発とダイヤパターンの見直し

輸送力増強工事の完成を受けて、このダイヤ改正では私鉄としては異例ながらラッシュ時間帯に有料特急6本が新設され、さらに、8000系に替わる新鋭6000系の投入により通勤特急(特急料金不要。定期列車としては希少な渋谷行である)6本が設定された。

また、湾岸区間における急行と快速の混雑率を均等化するため、上り急行を通勤急行に変更して砂町・関浜・日ノ出町・狩野に追加停車させ、上り快速を通勤快速に変更して先の4駅を通過させる、停車駅分担型の千鳥式運転を導入した。改正の前後のパターンは図のようになる。数字はピーク時間帯1時間30分間の運転本数を示している。
朝ラッシュ時、急行線は、7.5分間に特急または通特1本、通勤急行1本、通勤快速1本の3本を運転するパターンを12回繰り返す。通勤急行は新成原で、通勤快速は美咲空港と神津で特急または通特を退避する。美咲→新宿間の所要時間は、通勤快速=1時間3分、通勤急行=1時間5分、通特=53分(実際には渋谷止まりだが)と設定し、長距離客を通特に誘導して通勤急行・通勤快速の混雑を緩和している。


(3)青海線・水澄線の改善
湾岸新線の全通後、東京から直結された青海線・水澄線の美咲口では沿線の開発が急速に進み、東京方面への通勤需要が大きく拡大した。そこで、このダイヤ改正では両線から東京線への直通運転の拡充が図られた。朝ラッシュ時間帯の直通運転列車の本数は以下のとおりであり、充実ぶりがわかる。
改正前 | 改正後 | |||
青海線発 | 水澄線発 | 青海線発 | 水澄線発 | |
特急 | … | … | 3 | 3 |
通特 | … | … | 3 | 3 |
通勤急行 | (急行)3 | (急行)3 | 3 | 3 |
通勤快速 | (快速)3 | (快速)3 | 3 | 3 |

また、X県内から美咲市・神津市への通勤需要に対応し、東京線直通列車が一段落した後の時間帯に、青海ヶ浦→神津、水澄→神津にそれぞれ2本ずつ快速急行が新設された。これらの施策は遠距離通勤客に大好評を博し、青海線・水澄線沿線の開発を大いに促進した。南西急行はようやく通勤輸送に関して独自の顧客層をつかむことができたのである。
反面、列車種別のインフレによって、いよいよダイヤは複雑の極致に至った。「開き直ったダイヤ」と評される所以である。青海線・水澄線の朝ラッシュ時の停車パターンを図示しているが、ラッシュ時間帯にはこの全ての種別が走るのである。前述のように東京線には通勤急行・通勤快速が登場したので、南西急行の列車種別は各停・普通・準急・通勤準急・快速・通勤快速・急行・通勤急行・区間急行・快速急行・通勤特急・特急の13種類となり、文句無く私鉄最多となった(平成9年に通勤準急は消滅して12種類になった)。このため、各駅に旅客案内用の表示装置や掲示器を大量に整備しなければならず、その投資も巨額なものとなった。
なお、実際の改正は、前回の例に懲りて「段階的切り替え」方式で行われている。9月21日に急行・快速の停車駅変更を先行実施し、美咲駅と旗塚駅の新設ホームを使用開始。現場が新ダイヤに慣れるまで、増発列車のうち特急は9月30日まで運休扱いとされた。