南西急行電鉄研究会

ダイヤの変遷Ⅰ

本項では、南西急行の発足(経営統合)から全線直通化までのダイヤの変遷を概説する。
ダイヤ研究室  ダイヤの変遷smile

1.昭和51年4月-経営統合

 別項「湾岸急行電鉄」で述べているように、昭和51年4月の南西急行電鉄の発足時点ではダイヤ改正は実施されず、各線の従来のダイヤが踏襲された。会社の形態が変わるときに、ダイヤ改正まで同時に行うのはキツ過ぎる…というのが現場の意見であり、それが反映された形である。

 ちなみに、経営統合によって、青海線水澄線の国鉄直通急行は急行料金を徴収し、京神線の急行は運賃のみで乗車できる…という具合に、同じ会社の路線で同じ列車種別でも制度が異なるという若干おかしな事態も発生した。

2.昭和52年10月-美咲総合駅切換

美咲総合駅/misaki-S52.gif
美咲総合駅切換時の線路配線

 美咲総合駅切換の際にも、青海線水澄線の旅客列車の運転時刻は変更されなかった。発着する駅が旧駅から新駅に変わるだけ、というのが両線の沿線自治体に対する当時の南西急行の事前説明であった。

 ただし、営業列車以外には大きな変化があって、青海線美咲駅ホームが2面4線から1面2線に減少したことによって同線特急の折返し整備が不可能になり、代替として館川町駅で整備を行うための回送が追加されている。この処置は、青海線側が新駅に切り換えられた10月3日に始まり、翌年5月の湾岸新線新成原~美咲間暫定開業まで継続された。

3.昭和53年5月-湾岸新線暫定開業

ダイヤの変遷Ⅰ/新成原暫定開業時点の停車駅と運転本数S53-05.gif
湾岸新線新成原暫定開業時点の停車駅と日中の運転本数
湾岸新線/新成原~美咲間暫定開業時点の配線図.gif
湾岸新線新成原暫定開業時点の配線

 美咲総合駅切換のわずか8ヶ月後に、湾岸新線新成原美咲間が湾岸線として暫定的に開業した。上図のように、青海線水澄線の短距離系統の普通列車が新成原まで延長運転され、湾岸線内は日中で15分ヘッドの運転となった(この運用には2000系が限定で充当された)。このころは湾岸地区開発計画の埋立地は原野状態のところが多く、新成原美咲空港間は事実上空気輸送であった。この暫定開業は、X県の「湾岸地区の足の確保に精力的に取り組んでいます」という対外的なアリバイ作りと言ってよかった。

 青海線・水澄線の特急は、ホームが不足気味の美咲をスルー運転するだけの目的で美咲空港発着とされたが、このことが青海・水澄を「国際空港直結の大観光地」として売り出す契機となった。

 また、運転取扱面では、関浜車両基地(現在の関浜車両所)が稼働したことが大きい。青海線・水澄線では、通勤輸送を終えた編成を美咲から八浦・矢積に送り返さずに関浜基地に収容し、夕方にその編成を取り出して夕ラッシュに備えるという合理的な運転ができるようになったのである。

4.昭和53年6月-乾複々線化

ダイヤの変遷Ⅰ/京神電鉄停車駅パターンS53-06.gif
乾複々線化時点での停車駅と運転本数
湾岸新線/新成原~美咲間暫定開業時点の配線図.gif
湾岸新線新成原~美咲間暫定開業・乾複々線化時点の線路配線図

 湾岸新線の暫定開業からさらに一ヶ月後、京神線の紅林間の複々線が使用開始された。このとき、(一連のプロジェクトとは無関係の工事で)神津駅の着発線が1線しか使用できない状態となったため、図版のように神津駅に発着する列車を急行1種類に限定して神津間を各駅に停車させ(改正前の通勤準急と同じ)、乾以北を緩行線の各停のみとする暫定ダイヤが組まれた。

 このダイヤはあくまで暫定措置と説明されたが、それまで4種類もあった速達列車が急行のみに単純化されて神津・新神津・藤田・末木の各駅は全列車が急行化、槙坂・有川両駅は速達列車が無くなったものの乾始発の空いている各停がそれまでの倍の本数で利用可能となり、古くからの京神電鉄の上得意客に好評を博した。反対に割を食ったのが神宮線で、朝ラッシュ時の一部を除いてほぼ終日 線内折り返し運転となって京神線直通列車を失った。同線の不遇は昭和60年3月ダイヤ改正まで続くことになる。

5.昭和55年10月-湾岸新線新成原~神津開業

ダイヤの変遷Ⅰ/S55-10湾岸新線神津開業時のダイヤパターン.gif
湾岸新線 新成原~神津開業時の停車駅と日中の運転本数
湾岸新線/神津~新成原間開業時の配線.gif
湾岸新線 新成原~神津間開業時の配線

 昭和55年10月2日に、湾岸新線の新成原~神津間が開業し、路線的には南西急行の全線がつながった。ただし、神津~乾間の新線区間の電気設備が未完成で、営業運転を開始できない状態であったため、新成原まで運転していた青海・水澄線の普通を神津まで延長する形となり、編成両数も日中は4両編成となった(朝ラッシュ時は8両編成)。

 一般市民の感覚では、この暫定開業時点では「神津駅の東口に、何だかよくわからないけど埋立地の方に向かう新路線がやってきた」といったところであったろう。

 だが、南西急行的には長年の悲願が実った瞬間でもあった。美咲~新宿間は「東京線」と改称され、自社路線の分断状態が解消されたことで業務効率も大きく改善された。

 なお、国鉄からの直通急行「青海」「水澄」は9月30日をもって廃止され(国鉄側のダイヤ改正は10月1日)、翌日より「青海」「水澄」が抜けたスジに美咲空港発着の青海線水澄線特急が1時間ヘッドで挿入された。特急神津まで運転しなかったのは、増発と延長運転を同時に行うのは変化が大きすぎると判断されたためである。しかし、この措置によって昭和55年の秋は東京から青海・水澄へ直通する列車が2ヶ月間運休という事態になり、南西急行には地元からの苦情が数多く寄せられたという。

6.昭和55年11月-全線直通運転開始

ダイヤの変遷Ⅰ/S55-11急行・快速直通運転時のダイヤパターン.gif
全線直通運転開始時の停車駅と日中の運転本数
湾岸新線/湾岸新線全通時の配線図.gif
全線直通運転開始時の配線

 昭和55年11月15日、湾岸新線建設プロジェクトの最後の区間、神津間の急行線が使用開始され、東京線のダイヤが全面的に改正された。

 図版に示すように、旧京神線区間では速達列車が日中毎時8本で、神津折返しの急行2本が設定されている。これは、湾岸線区間の輸送需要と、始発の速達列車を失う神津駅利用者の利便を考慮したものである。また、急行青海線水澄線に毎時1本が直通し、全線直通化による両線の利便性向上をアピールした。

 神津~美咲間の新線区間では快速が15分ヘッドでの運転となったが…これはどう見ても輸送力過剰であった。実際、利用者が定着してくると毎時2本の急行だけが混雑し快速はスカスカという状態が常態化し、快速急行の運転本数を入れ替えろ! という苦情が殺到した。しかし、快速の輸送力設定は湾岸地区の開発を加速させたい大株主(X県)の意向なので簡単に減便できるわけでもなく、南西急行は急行の増発を検討することになる。

 また、この新ダイヤは旧京神線区間の乗客からも大不評を買った。これは、速達列車が毎時8本で従来と変わらないにも関わらず、路線が伸びたことで列車の混雑が激化したことが原因であった。また、特に末木藤田新神津の3駅の利用者は、これまで急行が利用できていたものが全て各停となってしまい既得権を大きく棄損させられたと感じたのである。さらには、地元の足的な路線であった京神線が、自分たち沿線の意向とは無関係に長大な路線の一区間として組み込まれてしまった、というワケのわからない感情論もあったであろう。南西急行側は、ある程度このような反発が出ることは予想していたが、現実としてそれに対応するとなると理論立てて説明しても納得が得られるわけでもなく、将来の改善を匂わせつつなだめるしか無かった。

7.昭和55年12月-特急なぎさ・ひびき運転開始

ダイヤの変遷Ⅰ/S55-12湾岸新線全通・特急運転開始時のダイヤパターン.gif
特急なぎさ・ひびき運転開始時点のダイヤパターン

 昭和55年12月10日、一連の施策の集大成として、新宿~青海ヶ浦間運転の特急なぎさと、新宿~水澄間運転の特急ひびきがそれぞれ1時間ヘッドで運転を開始。二か月強の空白期間をおいて、東京と二大観光地を結ぶ優等列車が格上げのうえ二倍に増発され新型車両(7000系)と新愛称を伴って再登場し、青海・水澄の関係者は昔の青海鉄道とも水澄鉄道とも次元の異なる「南西急行電鉄」の威力をようやく実感したのである。

 実際のところ、この改正は昭和55~56年の年末年始輸送に間に合わせるのが必達目標であったが、開業後の特急券の売れ行きは凄まじく、8000系による臨時便が急遽設定されるほどであった。もっとも、7000系はこれまでの165系による急行に比べて輸送力が小さく、南西急行はこの点にもっと注意を払うべきであった、という辛辣な指摘も当時の地方紙には載っている。

 また、東京から美咲空港へのアクセス輸送と青海・水澄への観光輸送を同じ系統の特急で対応していることも「全く異なる層の乗客が混乗して車内が落ち着かない」と批判された。これまでの我が国には全く存在していなかった形態の列車であり、南西急行が特急の運行ノウハウを身に着けるにはまだまだ時間が必要であった。幸いであったのは、7000系の設計が輸送実態にマッチしていたという点であり、類似の後継車が何代も続くことになる。


ダイヤの変遷Ⅰ/S55-12直通特急運転開始時のダイヤパターン図.gif
昭和55年12月改正における東京線(急行線)ダイヤパターン

 図版は、昭和55年12月改正における東京線のダイヤパターンを示している。新宿を00分に出発する特急なぎさ、同30分に出発するのがひびきである。図には入れていないが、青海線水澄線への直通急行の3分後には増発特急用のカゲスジが挿入されており、これが現在まで続く盛り込みスジの発祥となっている。神津折返しの急行も、必要により美咲方面へ延長運転が可能になっている。ただし、これらはダイヤ的には可能であっても、当時の車両の陣容や乗務員の要員事情により、簡単に増便することはできなかった。

 また、急行線と緩行線の連携はかなり神経質に配慮され、旗塚駅場面と乾駅場面でそれぞれ急行快速各停が相互に接続するようにダイヤが組まれていた(図版には緩行線のスジは記載していない)

 なお、東京線の朝ラッシュ時ダイヤは、青海線・水澄線からの直通急行が15分ヘッド、美咲始発の快速が15分ヘッド、関浜または美咲空港始発の快速が15分ヘッドであり、都合5分ヘッドで急行線を速達列車が雁行。緩行線は神津→霞ヶ関各停が15分に2本、東城学園→霞ヶ関間各停が15分に1本運転されて旗塚場面で都合5分ヘッドとなっており、急行線・緩行線合わせて1時間に24本の運転であった。平成27年度末現在の半分の運転本数ということになる。全線直通化直後の東京口の輸送需要は旧京神線の輸送力で賄える程度であろう、というのが南西急行の予測であり、実際そうであったが、その後の需要拡大の速度は予測を大幅に上回った。次項では、増大する輸送需要に必死で対応する南西急行の状況を概説する。


ダイヤ研究室  ダイヤの変遷smile


最近の更新
アクセス数
累計: 623057
本日: 990
昨日: 4688
一昨日: 2900

Contents